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旅人ブログ2

世界文化遺産:レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院 ミラノ イタリア

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世界文化遺産:レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院 ミラノ イタリア

古いビデオから何とか写真を作ってみました。

関西空港よりフィンランド航空にてヘルシンキへ
ここで入国手続きを済ませ後は同じEU国内線にてイタリアへ
ミラノ・マルペンサ空港に到着したのは同日の現地時間で18:05(時差ー8時間)ホテルへは20:00頃着で
観光は翌日からとなりました。 



『最後の晩餐』はサンタ・マリア・デッレ・グラツイエ教会に隣接するドメニコ会修道院の食堂の壁画です。

朝一ミラノ観光はここからスタート。

『最後の晩餐』の見学は完全予約制。一度の入場は25人までで観賞時間は15分でした。

《最後の晩餐》は、イエスが使徒の一人が裏切ると告知したときの各使徒の反応を描写しています。

12人の使徒全員がおのおのの程度の怒りとショックでさまざまな反応を示しています。各使徒たちは、19世紀に発見された写本から名前が識別され、それ以前はユダ、ペテロ、ヨハネ、イエスだけが明確に特定されていました。

その使徒を左から右へ挙げていきますとバルトロマイ、ヤコブ (アルファイの子)、アンデレの3人は1つのグループで、全員、驚いた表情をしています。

イスカリオテのユダ、ペトロ、ヨハネの3人が別のグループを作っていてユダは赤、青、緑の服を着ており、引っ込み思案で自身の計画が突然明らかになったことあっけにとられている。右手に小さな袋を握りしているが、おそらくイエスを裏切るための報酬として与えられた銀貨を示唆しているか、もしくは会計係としての役割を言及している。また、ユダは塩瓶をひっくり返しているが、これは「塩を裏切る」ことを意味する東洋の表現と関係があるかもしれない。
彼はテーブルの上に肘を付けている唯一の人物であり、頭はほかの誰よりも低い位置に描かれている。身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネに寄りかかっています。彼は怒っているように見え右手にナイフを所持している。おそらく、イエスが逮捕されている間のゲッセマネの園での暴力的な反応の伏線的な描写と思われます。
最年少の使徒ヨハネはペトロに傾いているように見える。

イエス(中央)

トマス、ヤコブ (ゼベダイの子)、フィリポの3人がイエスの右側にグループを形成しています。トマスは明らかに動揺していて上げられた人差し指は、再誕の不審を予兆している。ヤコブは空中に腕を置き、ぼうっとしているように見える。一方、フィリポは理由を求めているように見える。

最後にマタイ、タダイ、熱心党のシモン右端の3人のグループのタダイとマタイはともに、おそらく「今、主は何とおっしゃったのか」シモンに聞いています。

人によって最後の晩餐は様々なようですが、あなたの最後の晩餐はと聞かれたら何と答えるでしょう。御馳走と言いたいところですが、私は長生きを想定して歳を取るとそんなに食べれないかも知れないのでやっぱり野沢菜付きの茶漬けかな・・



スフォルツエスコ城

ミラノの領主ヴィスコンテイ家とスフォルツア家の城
ヴィスコンテイ家の蛇の紋章は現在のミラノの紋章になってます。
このお城を通り抜けて裏に出ると焼き栗売ってました。更にバスが停車しているところまでの移動中、女性のジプシーに遭遇、貴重品が入ったウエストポーチを正面から狙いに来ましたがマニュアル通り危うく難を逃れました。



1867年完成のガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世
スカラ座からドウオモ方面へ

プラダ本店初めブランドショップやカフェ、レストラン等高級アーケード街となってます。
マクドナルドは普通赤色ですが、ここはシックな黒でした。


ミラノのシンボル、ドウーモ(ミラノ大聖堂)

教会の規模はローマのサン・ピエトロに次ぐ

1386年ヴィスコンテイの命によって建設が始まりその後完成までに約500年の歳月を費やす。


ドウオーモ前のドウオーモ広場










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コメント

1. 無題

野沢菜のおつけもので、お茶漬け。大好きです。最高の贅沢❗

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