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紅葉の古都 洛西:三尾~北嵯峨~衣笠・御室~西山 

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紅葉の古都 洛西:三尾~北嵯峨~衣笠・御室~西山 

こちらでも洛西の三尾~西山までとかなりの広範囲ですが、ゆっくり時間をかけて載せていきます。
まず三尾(さんび)ですが京都市内の手前から山城高尾(神護寺)槇ノ尾(西明寺)栂ノ尾(高山寺)とそれぞれバス停はありますが、これ徒歩で移動できる距離でシーズンになりますと状況によってはバスを待つより歩いた方が早いかも知れません。実際皆さん歩いてます。
そして出来ることなら最初に山城高尾で下車、神護寺にお参りして西明寺〜高山寺と周って行けば上り下りはあるにせよ全体的には下りで最後高山寺の正門の方から入山出来、なおかつ帰りのJRバスも一番奥の高山寺で乗車の方が席を確保し易いと言う事で長い距離歩き疲れた上、車内で吊皮状態では大変だろうと思いました。

◆三尾:栂ノ尾(とがのお)

世界文化遺産:高山寺石水院(国宝)廂の間の善財童子

国宝:石水院
鎌倉前期、明恵上人が後鳥羽上皇から学問所として賜った建物であり、鎌倉期から残る唯一の遺構です。
元々は金堂の東の位置にあったが、明治22年に現在地に移された。

京都にある世界遺産の中でも高山寺は個人的にもお気に入りのお寺で史跡1件、国宝8件(22点)、重文47件(175点)をはじめ、多くの文化財を所有している山寺でもあり歴史ある建造物や薄暗い杉並木等からは神秘的な雰囲気が漂ってきます。

きょうと~おおはらさんぜんいん~♬でお馴染みのデユークエイセスの唄「女ひとり」の2番の歌詞に登場!
創建は奈良時代に遡るともいわれ、その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興。

鳥獣人物戯画や日本最古の茶園がある場所としても知られています。

山城高尾(神護寺)槇ノ尾(西明寺)はここでは省略します。又いずれ・・

◆嵯峨

直指庵 修練道場公開(紅葉時の11月中旬~12月上旬)

北嵯峨の竹林に囲まれた場所にひっそりと佇む直指庵。
臨済禅を学んだ独照性円が南禅寺栖雲庵から1646年に北嵯峨細谷に草庵を結んだのが始まりでその際の庵の名は没蹤(ぼつしょう)庵と言われていました。
そして独照は枯れ末の枝が地に落ちるのを見て大悟し、直指人心の旨を守って庵を「直指庵」と号した。
一時は大寺院となった直指庵もその後は衰退、幕末の頃、篤姫が大奥に輿入れの際に彼女の養母として従った近衛家老女津崎村岡局がこの直指庵に入り再建、浄土宗の庵寺とし、土地の子女の訓育につくし現在に至る。

窓近き竹の林は朝夕に

  心をみがく種とこそなれ
         津崎村岡局


護法弁財天

こちらでは偶然ですが、地元北嵯峨在住で『
紅葉の京都』の写真集を出されている写真家の福島右門さんに会うことが出来、近くの竹林等ご本人お気に入りの撮影ポイントを教えていただきました。

◆衣笠・御室

等持院 西庭の茶室・清漣亭と芙蓉池

立命館大学隣接の当時院は臨済宗天龍寺派の禅寺で1341年に足利尊氏が天龍寺の夢窓国師に頼んで衣笠山の南麓に創建される。
足利将軍家の菩提所で応仁の乱の戦乱に見舞われたが、豊臣秀頼によって再建。
足利15代、230余年の貴重なお宝が保存され、等持院の一部では撮影不可になっています。


妙心寺/退蔵院の余香苑

昭和の小堀遠州(こぼりえんしゅう)と称えられた造園家、中根金作(なかねきんさく)による昭和を代表する名園と評される庭園です。
大刈込みの間から三段落ちの滝が流れ落ち、深山幽谷を思わせるような風情が漂います。
庭園は四季それぞれの草花に満ち、一年を通して美しい姿を見せてくれそうです。

◆西山

長岡京:光明寺のもみじ参道と薬医門

長岡京にある紅葉のお寺として人気のある光明寺へは当日早朝に出発し一番乗り、人が写っていないのはそのおかげです。開門時には200~300人は並んでいたと思います。
奈良公園の朝靄に無風で池の波がたたない浮見堂の時もそうでしたが、早起きは三文の徳とはよく言ったものですが、それ以上の徳を得た気分でした。


善峯寺 多宝塔(重要文化財)
1621年賢弘法師により再建。


大原野神社 鯉沢の池
奈良の猿沢池を模して文徳天皇が造ったとされています。

省きましたが、この他西山ではこの大原野神社からも程近い勝持寺が紅葉では定評があります。










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