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紅葉の古都 洛北:比叡山山麓~岩倉~鷹峯

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紅葉の古都 洛北:比叡山山麓~岩倉~鷹峯

現在、紅葉の古都編を投稿してますが、ひとつひとつ紹介してましたら紅葉シーズンどころか年を越してしまいそうなので今回はここから残りの寺院等に対してそれぞれ1枚づつの写真にしてエリアごとまとめて投稿させて戴きます。
尚、洛北で今回紹介できなかった場所(貴船・鞍馬に上賀茂、鷹峯の一部)はまた来年以降に投稿します。


◆比叡山山麓

瑠璃光院 瑠璃の庭

期間限定での拝観となりますが、12年前に訪れたこの時は拝観料もまだ500円ほどでしたが、その後建造物保存等の理由で数年間拝観できない時もありました。
休院が続いた中で紅葉時の拝観希望者も多く、さればどうしてもと言う人にと再び拝観できるようになったと思えばルイ・イカール美術館にも入場可能ではありますが、拝観料が2000円と吊り上がっていました。

※ライトアップは昼夜で8000円 京都で最も高い拝観料では?
インスタ映えするお寺として人気が高まっているようですが、自分はここまで出してまで拝観しようとは思いません。


円光寺 十牛の庭(本堂より)

紅葉のお寺として洛北では定評のある圓光寺

緑、黄、オレンジに真っ赤と色の鮮やかさも見事ですが、ただその庭の紅葉がきれいと言うだけでなく本堂や飾り窓からの景色に加え池に浮かぶ落ち紅葉や竹林等、色んな表情を楽しむ事ができます。
家康公ゆかりのお寺として1601年に下野足利学校第九代学頭、三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に円光寺を建立し学校とした。
その後、相国寺山内に移り、更に1667年に現在の洛北一乗寺小谷町へ移転されました。
境内の裏山墓地には花の生涯のヒロイン村山たか女、広島原爆で被爆し亡くなったマレーシア留学生オマール氏のお墓や家康公を祀った東照宮があります。


金福寺(こんぷくじ) 
枯山水の庭園にはさつきや桔梗の花も植えられています。(正面は芭蕉庵
864年に安恵(あんね)僧都により創建された天台宗の寺院ですが、長らく荒廃していたといいます。
その後、1688年に臨済宗円光寺住職鉄舟和尚が再興し、以降臨済宗南禅寺派の寺となり現在に至っている寺院です。
当時、和尚と親交のあった松尾芭蕉がここを訪ねたことでも知られています。
その後に訪れた与謝無村によって境内の荒廃していた草庵「芭蕉庵」を1781年に再興、その庵室で度々句会を開いていたと言われています。

憂き我をさびしがらせよ閑古鳥 芭蕉
耳目肺腸ここに玉巻く芭蕉庵 蕪村
我も死して碑に辺せむ枯尾花 蕪村
徂く春や京を一目の墓どころ 虚子

又NHK大河ドラマでお馴染みの井伊直弼の彼女であり密偵でもあった村山多加女ゆかりのお寺としても知られ境内には多加女が建立した弁天堂があります(1867年、その後1924年に再建)

◆岩倉

岩倉実相院 枯山水石庭

実相院の客殿・瀧の間の黒光りする床板に外の楓が映り込み、季節に応じて『床紅葉』『床みどり』と愛称がついて、これがその代名詞にもなっていることで知られています。
残念ながらそこは撮影禁止となっています。

◆鷹峯

光悦寺の光悦垣

源光庵からすぐ目と鼻の先にある光悦寺。ここも紅葉が美しい寺として知られこの時期、その源光庵と共にセットで訪れる観光客でいっぱいでした。

京都のお寺は9時開園が多い中ここは8時開園となっていますので朝こちら鷹峰に来られる時はまずこの光悦寺へお参りしてそれから源光庵や常照寺等へと言った形が良さそうです。

鷹峰三山(鷹ケ峰・鷲ケ峰・天ケ峰)を見渡す景勝の地
この地に徳川家康公が江戸時代の芸術家である本阿弥光悦に1615年にこの地を与え光悦はそこに一族縁者をはじめ、種々の工芸に携わる多くの職人と共に住居を構え、光悦を中心とする工芸集落を営んだ。
光悦は刀剣鑑定のほか書、陶芸、絵画、蒔絵等にも優れ芸術指導者としても活躍する。
光悦の死後、屋敷は寺(日蓮宗)となり、境内には光悦の墓碑がある。



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