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旅人ブログ2

出雲街道津山城東むかし町(重要伝統的建造物群保存地区)~イナバ化粧品店(津山市)

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出雲街道津山城東むかし町(重要伝統的建造物群保存地区)~イナバ化粧品店(津山市)

一昨日は午前中倉敷へ私用で出かけていました。帰りに交流会館(卓球)へ寄り道しようかとも思いましたが、日中は混み合うだろうと予想して結局夜の部に参加させていただきました。


津山へはオフ会の知人と同業でNZでツアーガイドをしていた友達(東津山在住)が一時帰国したと言うので観光を兼ねて会いに出かけてきました。





出雲街道津山城東むかし町

城東地区はその名の通り津山城の東側を南北に流れる宮川を隔てた城下町東側の地区を指します。北の丹後山丘陵から南の吉井川にいたる緩斜面北寄りに社寺及び武家地が配され、町人地は南の低地側(吉井川の北岸)に配されました。
姫路を起点とし、松江に至る出雲街道は津山城下町を東西方向に横断してますが、城東地区ではこの出雲街道をを挟んで南北両側に町人地が形成されました。
城東地区の成立は津山城築城と並行しており、慶長年間(1604年~1614年)に武家地である上之町の西半が、町人地は西から橋本町、林田町、勝間田町が形成されました。更に津山城築城後も城東地区の拡張は続き、寛永年間(1624年~1643年)に武家地では上之町の東半が、町人地では勝間田町の東側に中之町、西新町。東新町が形成され、ほぼ現在の城東地区が完成しました。
明治以降も城東地区は、高瀬舟による物資の集積地として、商人地として繁栄しました。
城東地区の町割りは、初代藩主森忠政の津山城築城に伴う城下町の建設計画に基づいたものであり、400年が経過した現在も吉井川沿いの国道53号線以外は、基本的に江戸初期以来の町割りをよく残しています。


男はつらいよ最後の48作ロケ地 作州城東屋敷





箕作阮甫旧宅(みつくり げんほ)江戸末期の商家

幕末を代表する蘭学者の箕作阮甫は、津山藩医箕作貞固の三男として西新町に生まれた。文政2年(1819)津山藩医となる。



城東むかし町家
朝ドラ『あぐり』ロケ地



イナバ化粧品店
知人のお友達のご近所に地元津山では知らない人はいないと言われる化粧品店がありましたので寄道していきました。
一見どこにでもありそうなごく普通の化粧品店
しかしここはその手の人達にとっては聖域の場所でもあり、国内はもとより世界中から訪問客があるそうです。(年間3万人の訪問客)

B'zのヴォーカル稲葉浩志さんの御自宅ですが、ここでは店員さんのほか主にお母様(通称イナママ、イナバママ)が活躍されています!

せっかくですのでちょっと中に入ってみましょう♪

休日:毎週水曜日


店内の様子①

やはり男一人では入りづらい・・(-_-;)


イナバママとの3ショット!
イナバママは明るく気さくな人で訪問客に対していつもこのように気軽に撮影に応じてくれます。
まだまだ足腰が丈夫で今でも年に一度の海外旅行も実施するほど大の旅行好き!


店内の様子②

我々がゆっくりしている間でも次から次へと訪問客が・・
この日もカップルや遠くは茨城から一人で来られた女性客等狭い店内が更に狭くなっていました。


もちろん息子さんのPRも忘れてはいません。
津山市民栄誉賞!


化粧品店向かい八幡神社に上がっていく手前で見つけました。



最後にお兄さんが経営されている『くらや』さんへ立ち寄ってみました。

拍手[6回]

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コメント

1. 無題

その後具合は復調されましたか?ご自愛くださいね。

月曜、津山市の53号線を通ってきたけど、ただの素通り。
うわあっ、こんな素敵な街並みの景色が身近にあったなんて・・

次回しっかり予習したうえで、出直します。
大変有益なご紹介ありがとうございました。

2. 無題

こんばんは。有難うございます。
さすがに今日は自宅でおとなしく横になっていました。
晴れの国岡山まだまだ尽きないところですが、そろそろ近府県等他地域の発信へ切り替えていきたいと思っています。


3. 無題

津山には仕事で岡山市から四年間通いました。
鶴山公園花見や、なんとか川沿い花火大会などお楽しみスポットとは無縁でしたが、このような場所もあるのですね。
うちの歌姫がうっかり写ってないですか?津山(笑)

4. 無題

是非またお出かけください。
鶴山公園の桜は来春投稿予定です。それまでこのブログがもつでしょうか(^^♪

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