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紅葉の古都 洛西:嵯峨野から奥嵯峨へ

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紅葉の古都 洛西:嵯峨野から奥嵯峨へ

奥嵯峨まとめました。同エリアでは北嵯峨の一部を残しましたが、「古都の紅葉」が続きましたので今回で一旦このシリーズから離れて気分転換に次回からまだどこか決めてはいませんが、多方面で投稿させてもらいます。



〇常寂光寺 仁王門


〇常寂光寺 多宝塔


〇小倉山二尊院 「紅葉の馬場」と呼ばれる参道


〇小倉山二尊院 勅使門


〇化野念仏寺 西院の河原

〇化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)

寺伝によれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約千二百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属する。
「あだしの」の「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図しています。

この地は古来より葬送の地で、初めは風葬でしたが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所です。
境内に奉る多くの(8000体超)石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓で何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた。明治中期に地元の人々の協力を得て集め、極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられました。


〇愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)多宝塔


〇愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)地蔵堂

764~770年、稱徳天皇により京都東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建。
平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたのですが、近くを流れる鴨川の洪水によって堂宇を流失、醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(伝燈大法師918~984年)によって復興。これより天台宗比叡山の末寺となり等覚山愛宕院と号しました。
1922年(大正11年)に今の場所へ残った本堂、地蔵堂、仁王門を移築、昭和25年の台風で仁王門が破損大となったが、昭和56年に解体復元修理を行なう。
この時、住職の西村公朝は寺門興隆を祈念して、境内を羅漢の石像で充満させたいと発願し、当初五百体の石像が目標だったが、十年後には千二百体に・・石像千二百羅漢と呼ばれています。



〇鳥居本(重要伝統的建造物群保存地区



〇鳥居本

嵯峨野とうふ膳
生湯葉、とうふ、生麩田楽、黒米ごはん、しば漬け

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コメント

1. 無題

京都のつぎはどこになるのでしょうかねぇ~

2. 無題

歴史リテラシーのない自分でも美しさが伝わります。
あと京都の湯豆腐。なんでだろ、本当に美味しいんですよね。



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